昭和48年10月19日 朝の御理解



 御理解 白紙の所を頂いた

 お道の信奉者、教祖生神金光大神の教えを、ひた受けに受けさせて頂いての生活、信心生活者とでも申しましょうか。それは何処までも教祖金光大神が、辿られた道又は教祖金光大神が、教えられた事、その事をその道を踏んで行く事であると同時に、教祖様の教えておられるその事を、私共が実証して行くと言う事だと思うです。教祖様がかく教えられた。それをかく自分の血に肉にした、教えを頂いておかげを頂いておる。そこには成程、教祖が教えて下さった通りのおかげを現して行く。
 そう言う物をです、私共は私共の後に続く信心をする人達の上にも、又は周囲の人達にも、それをかく信心すればかくおかげが受けられます。教祖の御教えをかく守れば、こういうおかげになって来るんですよという証(あかし)を立てて行くと言う事が、金光教信奉者のまあー言うならば責任にもあるという位に、そう思わなければいけないと思うですね。私共は金光大神の教えの実証者でなからなきゃならない。今日は何時も御大祭の後に菊栄会の方達が、私を中心に旅行を致します。
 今度は思いがけない事から、何と言うでしょうか、冗談が本当になると言うた様な事で御座いまして、伊勢参宮をさして頂く事になったんです。もう本当に夢の様な話なんですけれども、まそう言う事になったんです。教祖様も矢張り伊勢参宮をなさっとられます。私はまだ伊勢参宮と言う事をした事がない。今年はまた何十年間に一辺と言う遷宮のあったすぐ直後の事で御座いますから、その意義もまた深い事だと思うです。
 勿論参りますからには、色々と万事万端の上にも、お都合お繰り合わせ頂かねばなりませんけれども、例えば私が留守をする御広前を空ける。そこに私がおらなければおかげが受けられないという筈がない。金光大神はもう何時も此処にお働き通りにお働き下さってあるはずだ。私はそう言う様な事をです例えばあのう実証さして下さるんだと言う風に感じます。皆さんの一人一人がです所謂親先生が嘘を仰らない、親先生が言うとられる事を実証さして下さる。
 それを合楽では親先生任せにさえなっておけばおかげが受けられる。間違いないがのと言う事になって来るのです。ね。ですから皆さんをそれを矢張り実証出来るだけのおかげを受けて下さらなければならない。もう全てお道の信心者信奉者は所謂教祖生神金光大神が教えて下さっているその教えを、信奉させて貰うね、自分の信心生活の上に血肉にして、そしてかくおかげが受けられるんですと、形の上にも心の上にもです実証さして貰う証(あかし)を立てる。いうならば一人一人であらなければならない。
 教えにはこうあるけれどもと、その教えと言う物がです、いうならば当たるも八卦、当たらぬも八卦と言った様なね、おかげが受けられる事もあれば、受けられん事もあるという事でなくて、そこに絶対信を置かして頂いて、愈々金光大神の言うならば言動、言われた事ね動き、働かれたその後は神習わせて頂いた、私達がそう言う印をはっきりして行くと言う事が、金光様の御信者の、本当いうたら責任だという位な気持ちで本気で信心の稽古をさせて貰わねばいけません。
 今日は六時一寸過ぎに出ませんと飛行機が間に合わないんです。ですから今日はえらい簡単に、けど今日は神様は話はいらんぞと仰った位の事じゃなかろうかと、この白紙の所を頂いたんです。けど私はそこから感じさせて頂く事、私共一人一人が金光大神の言動、仰った事、動かれた事、それを神習わして頂く、実証者の一人一人であらなければならないと言う事を聞いて頂きましたですね。
    どうぞ。
 親先生は本日より伊勢参宮被為上京後、二十四日夜帰省あそばされた。